第96章
おそらく映画はラストに近い。心許しあった主人公達が幸せそうにキスを交わす。そしてそれはベッドシーンに移っていった。
(…うわ…すご…)
この作品はR18指定だったろうかと考えてしまうほどのものだった。事実それほどの映画ではなかった。いまの陽子にはちょっとした濡れ場でも敏感に感じるのだ。人を恋しがるという、愛情の枯渇もそれに拍車を掛けている。
(…熱心に観てるな…)
ずぅっと男はあぐらをかいて固まっていた。テーブルに両肘で頬杖をついている。
(…なに考えて観てんのかな…)
なんとなく映画に集中できなくなっていた。映画の内容が恥ずかしいシーンだから、という取ってつけたような理由を陽子は自分に押し付けていた。
(…なに…考えて…)
武史の後方に位置をとったことが大きく影響している。陽子はどこでも見ることができた。
陽子の視線が止まった。そこは男のあぐらの中心だった。
男が微動だにしないというのは言いすぎである。長時間座っていれば当然居住まいを正すこともある。そしてちょうどそのときに男は動いた。衣服はある一点だけ動かなかった。
(…おっきく…なってる…)
見えないのをいいことに陽子はその部分を見つめ続けた。
(…あそこに…アレ…)
映画がラブシーンの最中なので比較的部屋の中は静かだった。ビデオから流れる音楽が陽子の吐息と鼻息をうまく隠しているのに二人は気づかない。双方それぞれが別のところに集中していた。
いつのまにか陽子の嗅覚と視覚があのときのことを思い出している。
(…あの…なかに…)
気のせいかソコが動いたような気がする。その一瞬ズボンが透明になる錯覚を起こした。陽子は目を閉じた。その瞼の裏で、すぐ目前にあるペニスがこちらに向かって白い液を噴き上げた。
(…やだ…わたしなに考えて…)
気づいてみると喉がカラカラだった。ラブシーンも終わったようで気も取り直せた。台所に立ち上がると、陽子はパックと二つのグラスを持ってきた。テーブルにおいてジュースを二つに注いで一つを取る。男は目線を変えずに首だけで軽く会釈をした。
(…まったく…まったくなにをやってるんだわたしは!…)
なぜグラスを二つ持ってきたのだろう。そりゃあ確かにジュースはこの男が買ってきてくれたものだ。それにしても一体全体なんの義理があって自分がこのろくでもない者に食事や飲み物を世話しなければならないのだ。理屈に合わないではないか。
しかし腹立たしくは思っても、なぜか怒りの感情まで達しない。不思議な気持ちを持て余してイライラするのを覚えていた。
ここまできたらもうラストだろうというところまで映画は進んでいた。予想通りというか結構ありきたりの終わり方だ。
陽子は目を伏せた。この位置関係で居られる時間は残り少ないと無意識が理解していた。いけないと知りつつも我慢ができなかった。邪魔されずに見ていたいものがあった。
「…さて、帰るか…」
やはりスタッフロールまで観るのが礼儀というものだろう。最近は日本人の名前も少なからず出てくる。無茶な設定ながらも無理のない話でなかなか面白い映画だった。
今日はずっと平和な心持ちな武史だった。いままでひどいことをしてきたし、これからもするだろう。しかし今日はなんとなくそんな気になれない。終わりを告げる知らせも入れたし、さぞつらい思いをしてるだろうと、せめてもの罪滅ぼしのつもりで借りてきたビデオだった。しかしそれは嘘の言い訳だった。本当は自分はだれかと一緒にいたいのだ。
「…おもしろかった?…よお…こ…」
武史は振り返った。うつろな表情の陽子がベッドに座っていた。どうやら自分の言ったことが聞こえてない。何も言わず顔を赤くしてじっとこちらを見ている。いったいなにを見ているのだろう。
武史は体がぞくっとするのを覚えた。
(…え?…まさか…陽子…)
どう見ても視線の先はソコに注がれていた。
いつからだ。いつから見ている。ずっと見続けていたのだろうか。なんでそんなに真剣な表情なんだ。
エンドクレジット後のレーベルタイトル音楽が鳴り止むとすべての音がなくなった。武史は静寂の始まりに気づいて目を上げる陽子をそのまま見ていた。自分が振り向いていたのに気づいたようだ。焦点が合い、意識が出現したのがこちらからもわかる。
表情がゆっくりと固くなった。見つめ合ったまま赤い顔がさらに紅色に染まる。陽子はこわばった顔で逃げるように目線を伏せた。口元をぎゅっと引き締めて無言の気まずい雰囲気が漂う。しばらく二人共に言葉を切り出せずにいた。
「…ようこ…」
陽子は無言のまま目を閉じた。恥ずかしさになにも耳に入れたくないようだった。
それはもう可哀相なくらいで、帰るよ、とそれだけのことを言うタイミングもつかめない。
言葉が声になる瞬間、違うなにかが武史を襲った。そしてそのなにかはいとも簡単にカードをすり替えた。
「…陽子…僕…したくなった…」
陽子の身体がぴくんと震えた。