第90章
「…ぅっ…ぅっ…」
すぐにでもこの空気から逃れたかった。痺れた足を苦労して陽子は立ち上がる。腿は自分の尿でずぶぬれだった。このままシャワーのコックをひねりたかったのだが上半身に服をまとっている以上すぐにそれはできなかった。いったんバスルームを出て脱衣しなければならない。
洗面台の鏡を見て愕然とした。顔の下半分が白いクリームにパックされているようだった。あちらこちらに固まりとなっている。これでは匂いが充満して当然だ。
人差し指で頬に触ってみる。指を離すとその固まりは粘っこく伸びて離れた。そしてこうされてしまった原因が頭をよぎってしまう。それはかけられた瞬間ではなくなぜかあの場面だった。生き物のような男根がびくびくとうなずきながら精液を噴出するあの場面だ。
着ている服もそのときの液に濡れてしまっていた。シミが丸や線の痕跡となってにじんでいる。洗って落ちるだろうか。陽子は服が顔に触れないようにそろそろと脱いだ。
裸になって陽子はシャワーのコックをひねった。できるなら顔面に手を触れたくない。水が温まるのを待ってシャワーノブに顔を向けて湯を浴びた。すべてを洗い流してくれる温かい雨が気持ちよかった。シャンプーもボディシャンプーも惜しげなく使い、陽子は"汚れ"を全身くまなく洗い落とした。
夕暮れも終わりに近い暗い部屋にバスルームの灯りだけが明るい。がばっと扉が開き、湯気の中からふぅと息をつきながら陽子が現れた。バスタオルを頭にかぶせながら暗いことに気づき、壁に手を伸ばし部屋の蛍光灯を点した。
体についた水滴をふき取りながら、そばに着替えがないことに気づいた。さっきまでのはすべて洗濯機のドラムの中である。バスタオルを置いて陽子は部屋を横切りテレビの脇にある引き出しから替えの下着を出した。
(はっ!)
うかつだった。窓のカーテンが開いている。
(…いっいやっ!…)
部屋が明るいので外から丸見えだ。生まれたままの全裸である。
前にこんなことは一度だってなかった。いや、あったとしてもこんな気持ちにはならなかった。しかしいまとなっては陽子の頭はほんのちょっとしたことでも性的な考えに結びつくようになっていた。嫌がるのを無理やり犯され、そんな状況の中で未知の絶頂に達したという事実がなにより精神を不安定なものにしていたという要因もある。限りなく保守的に、必要以上に外部から貞操を守りたい気持ちが大きくなっていた。
陽子は下着だけをもぎ取り駆け足で洗面所へと戻った。ここだと外からは見えない。心臓のばくばく鼓動しているのが自分にも聞こえた。こんなとき女性のパンツがなぜこんなにも小さいのかと恨めしく思える。わかってはいるのだが窓のほうを気にしながらブラに袖を通してフロントのホックを付けようとしたときだった。
(…取れてない…)
いまこのときになって初めて気づいた。鼻腔の中の匂いが取れてなかった。