第82章


窓が閉まるのを見ても、陽子はしばらく動けなかった。
言葉にならない。いつから男はあそこにいたのだろう。ずっと見られていたのだろうか。

とんでもないところを見られたことをいまさらながらに感じた。おそらく世の中すべての人々は一生を通じて、かくもあさましい姿を他人に明かすことはない。それどころか独りきりでもこのような姿になることさえ、普通だったら死ぬまでないはずなのだ。

音の元は確かにスーパーの買い物袋のものだった。笑みのない男の唖然とした表情と先ほどの電話での会話から、少なくとも100パーセント陽子の身体を求めに来訪したわけではなさそうに思える。この間の萎縮した男の態度と、いまの驚愕の表情を考えてもその推測は外れているとは思えない。

それなのに男の前で陽子は異常ともいえる痴態を晒した。あの位置からはブラウン管は見えないはずだが、スピーカーから流れ出る音声で、陽子がなにを見ているかは明らかだったに違いない。陽子は下半身裸でそのビデオの映像に手淫を興じたのだ。冷静な男性の前で、自分だけが激しく我を忘れて淫らな言葉を発しながら頭の中をSEXでいっぱいにしていたのである。どんな言い逃れも及ばぬ状況だった。

ビデオの中の情事も終わりを告げたようで、画面には拘束を解かれた陽子を男が介抱している。外で階段をトントンと降りる音を最後にいっそうあたりは静まり返った。聞こえるのは陽子の息を殺した呼吸音だけとなった。はるか遠くに救急車のサイレンの音が聞こえる。それは外からのものか、はたまたビデオの中で鳴っているものなのか、それさえも判断がつかなかった。

自分に言い聞かせるように陽子はうめいた。言わないでは惨めさに気が狂いそうだった。


「…ち…ちが…ぅ…」


指を膣から抜くとき、身体を甘い痺れが襲い身体が揺れた。その右手でテーブルの上のリモコンを探った。ビデオを停止させるとあまりのヌルヌルした感触にあらためてその手を見た。


「…ぁ…」


リモコン全体が濡れていた。手のひらに受け止めた愛液を掬い取って掴むときに上からぶちまけたのだ。そしてリモコンとテーブルの間には何本もの透明な糸がひき、一本の線が陽子に向かってテーブルの上を這い、目の前から再び宙を伝って股間に繋がっていた。そして情けない思いでティッシュを探そうとしたそのときである。


…カンカンカンカン…


「…はっ…」


階段を駆け上がる音だった。反射的に入口を振り返る。"だるまさんがころんだ"のように陽子は静止した。


(…いや…)


別の人であることを切に願った。郵便配達でも宅配便でも良い。あの男でないなら誰でも良かった。ここは留守だ。この部屋にいま人はいない。居ても留守だ。誰だって出られないことはあるのだ。こんな姿は死んでも人に見せられない。


(はっ!!…窓っ!!…)


窓が少しだけ開いている。隙間程度だが、見ようとすれば施錠されてないことはすぐにわかる。しかも階段だ。この建物には階段が二つある。いま聞こえてるのは明らかにこちら側の階段の音だ。周りは空き部屋だ。つまりこの階段を使うのは陽子だけのはずなのだ。


(…う…うあ…うああ…)


陽子は脱兎のごとく台所に走り寄った。音を立てないように機敏に窓に近づく。外から影を悟られないように屈むことも忘れなかった。しかし機敏にとはいっても、いまの陽子には限界があった。痺れたままの身体を振り絞って、力の入りきらない肢体でよろよろともつれ寄るのが関の山だった。当然股間はそのままである。ニチャニチャ音がしそうな足をすりあわせながら陽子はたどり着いた。

どうやら間に合ったようだ。ゆったりした足音はまだ階段をきしませている。しかしもうそろそろ昇りきる頃だ。陽子は恐る恐るサッシに手を伸ばした。




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