第65章

湯の温かさが身体を包む。湯船の中で陽子は次第に体力も気力も回復しつつあった。
バスタオルで身体を拭き、部屋着のトレーナーとジャージに身を包んだ。
歯を磨いて鏡を見ながら髪にドライヤーを当てた。時計はもう昼近くを指している。


(今日はどうしよう…また職安、のぞいてみたほうがいいかな…)


いまはほかのことを考えたかった。
面接が決まったといっても内定が出ているわけではない。競争の激しいこの就職難にひとつだけの面接が決まっただけで安心できるはずもなかった。
浮かんでくるのは不安な材料ばかりである。


(…体がだるい…)


今朝は何ともなかったのにホテルを出てからなんとなく体がだるかった。いまの湯浴でさっぱりするかと思ったがさらに体に、特に下半身が重くなったような気がする。ぺたんとカーペットに体が沈んだ。


(…あ…留守電…)


電話の留守ボタンがちかちかと点滅している。解除すると2件入っていた。初めの1件は意外な人からのものだった。
仕事の同僚ではあるが、勤務時間以外で話をした事はない。当然電話でなど話したこともなかった。非常に優秀で信頼の置ける仲間だったが、仕事の一面しか陽子は知らない。クールな口調はいつもと変わらなく理知的な声だった。


ピーー、○日、午後○時○分です。



工藤です。お元気ですか。身内の方で不都合があったと聞きました。突然のことでみんな心配しています。仕事のほうは大丈夫、高橋さんと私、それに川崎君ががんばっているからなんとかなっています。それに小松さんもすごい"急成長"してるから。ほんとに覚えが早いわこのコ。素直で。
そうそう、川崎君のことだったら大丈夫。なんか小松さんと仲良くなったみたいよ。
まったく本郷さん本郷さんて、うるさいくらいだったんだから。
でも、みんな言葉には出さないけど同じ気持ちです。いつでも戻ってきてください。


(…工藤さんまでも心配してくれてるんだ…そうなの…ともピーと香苗ちゃんが…それにしても混線してるのかな…雑音がひどい…後ろでいっぱい話し声がする…)


次の伝言が再生された。いまの伝言とさほど時間は変わらない。直前のもののようだった。


(…そか、残業の時間だ…いまは何人残ってるんだろう…二人もいればいいはずね…)


ピーー、○日、午後○時○分です。



…川崎です…あ…本郷さん…僕…ぼく…大丈夫…です…あ、いま…残業中で…あは…疲れちゃったのか…な………で…………


変な沈黙があった。


………で…でも…がんばって…ます…


ピーー


再生が終わった。


(…?…)


川崎のメッセージはなにやら変な感じだった。そういえば以前にも、留守電ではないが、仕事中でもこのような感じに川崎が見えたことがある。声をかけても陽子を凝視しているのだがうわの空で、とぎれとぎれに返答をすることがあった。作業に頭がいっぱいになっていたのかと思っていたが残業中にも忙しかったということか。ならばそんな最中に留守電を入れるなどしなければいいのに、と陽子は思った。


(…ともピーらしいわね…落ち着いてから話しなさいよ…)


となれば先の工藤のメッセージにも納得がいく。川崎の電話を聞いていたのだろう。(「なにわけのわからないこといれてんのよ。」)工藤の叱責する声が聞こえるようだ。


「…ふふっ…あははは…」


久しぶりに陽子から笑い声が出た。まったく凸凹コンビ、いやトリオだった。川崎を工藤と挟んで座る小松香苗も川崎に劣らぬボケぶりをよく振舞っているだろう。


(…わたしがいなくても…彼らが場を明るくしてくれるわよ…)


戻ればいい。気の迷いだったと部長に謝って、戻ればいままでどおり職場には復帰できるのかもしれない。しかし…

会社に辞めると告げたその夜、時がその手前で止まっていてくれたら。
レストランであの卑劣な男の前に座らなかったら。

あの夜、部屋を出たときからいままでに、陽子の体と精神はボロボロにされてしまった。
想像を絶する陵辱を受け、いまではとても自信を持って他人の前に姿をあらわすことのできる体には思えない。
それよりも陽子は自分の体よりもその精神、人格に自信がもてなかった。


(…わたし…わたし…)


武史に会ってから、陽子はいままで見たことのない、知らない自分を見た。
車の中では衣服を剥かれ、逆さになりながら自ら指を飲み込んでいった。
昨夜は好きでもない男の腰に自分から足を絡ませ、そのほとばしりを身体震わせながら全身に浴びたのである。歓喜の絶叫を上げながら…

SEXは男女の愛情を深める行為のはずだ。確かに人間は性交をする動物である。しかしそれは子供をもうけたいときに致すことであって、温かい家庭をつくる手段として夫婦間にあるべきものだといまでも陽子は思う。

男の欲望のままにレイプされたのだ。そう思えばいい。そう思えればいいのだ。
しかしいまではこの胸の中に別の自分がいる。いうことを聞かないドロドロしたものが出現して、おへその奥あたりに棲みついてしまったのだ。その魔物が制御できなかった。自分の身体なのに、それなのにあの男はその魔物を思うままに操り引きずり出したのである。


(…ちがう…あんなのわたしじゃない…くすりだ…あの塗られた薬さえなければ…)


陽子は薬が特に特別な効果をもたらすものではなかったことを知らない。自分の変貌の理由を押し付けるには格好の的だった。しかし理由がなんであれ、昨夜の自分の変わりようは紛れもない事実だということは頭の隅で陽子自身が認めていた。ちからない言い訳だということはよくわかっている。


(…くすりだ…くすりのせいなんだ…)








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