第71章


「…い…いやっ…」


陽子は写真を投げ出して立ち上がった。いったいあの夜のいつのときの写真かなど分析するつもりもなかったが、あの壁に貼りついた精液と揺れている手からすると、どうしても見下ろすテーブルの上の写真の外側では自分の股間に男が腰を打ち付けているのが頭の中に見えてしまう。


「…いやだ…いやだ…」


(「…イヤアッ!…イヤァッ!…」)


叫び声が聞こえる。このとき自分はどうなっていたのだろう。この手はきっと助けを求めていたに違いない。


(「…イヤアッ!…なかに…中にださないでぇっ!…」)


ううっと呻いて枠の外の男の背中がのけぞる。打ちつける腰がびくびくと押し付ける動きに変わった。


(「…イヤーーーーッ!!…」)


背筋を悪寒が走りぬけ、ぶるぶるっと身体が震えた。中に流し込まれる感覚が記憶の底から甦った。


顔が火照っていた。洗面所でざぶざぶと顔を冷やした。

(…思い出したくない…)

タオルで水を拭き取って鏡に映る自分の顔を見つめた。

(…しっかり…しっかりしないと…)

口を真一文字にきゅっと結んだ。いままでも落ち込んだときにはそうやって気合を入れている。

(…部屋に閉じこもってるのがいけないんだ…外に出よう…きれいな空気を思い切り吸い込めば気分も晴れる…)

落ち着こうと髪をとかした。朝のいつもの身づくろいでなんとか気は静まった。
化粧をする必要などない。そこらを散歩するだけだ。陽子は淡い口紅を少しスライドさせたぐらいにして外着に着替えた。
見ないように写真を握りつぶし、くずかごへ捨てた。



なんと爽やかな朝だった。車のまばらな広い駐車場で思いっきり背伸びをした。空には雲ひとつない。今日も一日暖かいことだろう。駐車場にはこの前ここですれ違った女性の車と陽子の車しかなかった。といっても満杯でもあと2台だけである。

このアパートには20近い部屋数がある。それでもいまは4部屋しか埋まっていない。この前の女性のほかには中高年のサラリーマンが2人居住しているだけであった。すべて一人暮らしである。不動産屋の話によると、女性は夜の仕事、男性二人は単身赴任であるらしかった。仕事のためか、単身組はめったに帰ることはなかった。帰ってきても単に寝るためだけらしく、陽子もこの二人の顔を見ることはほとんどなかった。土日ともなると、実家に帰るのだろう、部屋に居る者は女性二人だけになる。はずなのだがしかし、その彼女も休みの日には留守にする事が多かった。
ただでさえ部屋が離れている。建物を正面に見ると右半分に3人、左半分に1人だった。
その1人というのは陽子である。近隣の音に悩まされぬように二階の端っこの部屋を選んだのだった。住んでみて自分ひとりがぽつんと離れている事を初めて知ったのだ。

だから音に悩まされるどころか、昼でも静か過ぎるぐらいである。全員が部屋に帰っていてもテレビやステレオの音を盛大に鳴らすことが出来た。まあ、それほど大きな音で聞くわけでもなかったが。
建物の周りは50M四方、民家もない。線路を挟んだだけでこうも違うのか。ここから駅までの距離を駅の向こう側に歩けば、もう町の繁華街である。
なぜ経営する不動産屋はこんなところにアパートなんか建てたのだろう。
駐車場の真ん中に仁王立ちで腕組みをしながら陽子は建物を見上げて考えた。

車を持ってれば駅からだってそう遠くない。ちょっと歩けばスーパーだってコンビニだってある。見晴らし充分、町の喧騒もなし、旧道だからいまは通行車も少ないので道もすいてる。陽子の部屋なんか窓を開ければ田んぼと畑だった。今日のように日本晴れの天気に部屋にこもってるのもばかばかしくなるのも当然だ。

「なんで人気ないのかなあ」

声を小さくする必要などない。こんなところでつぶやくほうがどうかしている。堂々と声を上げた。

「バブルかぁ…ま、拾い物拾い物っ」

片足を跳ね上げ時計人形のようにくるりと反転した。
車など必要ない。散歩にエンジンをふかすなんてとんでもない。

陽子はいましがた一台だけ通り過ぎた旧道にてくてくと歩いていった。
ふと後ろを見るとすごく遠くのほうに、農道に車を止めて農作業をする麦藁帽子のおじさんが見えた。




目次へ     続く

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