第29章
目的のビルまでの迂回路はなかった。あっても人通りの少ない道ではなかった。
陽子にあまり選択肢は残ってない。携帯で時計を見ると9時まで15分前だった。
陽子は歩き始めた。町のネオンが明るく陽子を照らし出す。ところどころで人の声がした。
笑い声もあった。若い娘が陽子のほうを指差し笑っていた。
(わたしじゃない…わたしじゃないんだ…)
恐怖の面持ちで陽子は無視して脇を過ぎ去った。
中年の男が陽子の顔をすれ違いながら見た。男は陽子の蒼白な顔を心配しただけだったが、陽子にはそれを考える余裕もなかった。
(…わたしをみてる…みられてる…みられてる…)
電柱の脇を通り過ぎた瞬間、蔭になって見えなかった男が背もたれて地べたに座っていた。
通り過ぎる陽子を下から見ていた。
(い…いやっ…)
陽子は早足になっていった。揺れる胸のバッグが突起を刺激していた。足がヌルヌルと擦れあっていた。
(…ああ…あああ…)
「ちょっとオネーサン、」
後ろから肩をたたくものがあった。陽子は全身ビクッとして振り向いた。
「ひっ…」
同じ年頃に見えるいまふうのかっこいい男だった。頭を金髪に染め上げひざまでのパンツにサンダルを履いている。
「ひとり?どう、いい店知ってるんだ、一緒に行かない?」
男は視線を何気に舐め回すように上へ下へと向けた。陽子の雫が内ももを伝った。
「い、急いでるの…」
陽子は振り向いてまた足早に逃げるように歩き出した。ヌチャヌチャした音が聞かれないかと気が気でなかった。雫はスカートが隠し切れないところまで達していた。
(中、気付かれなかったよね…スカートにシミできてないよね…)
盛り場を抜け、営業の既に終わった例のビルにやっと辿り着いた。自動ドアを過ぎるとまばらに人がいた。エレベーターで3Fに昇った。幸い誰も乗っていなかった。エスカレーターには怖くて乗れなかった。
この建物は県の予算で一年前に新築されたビルで、2Fまでが若者向けのおしゃれなモール街が、3Fから上がオフィススペース、6Fから上はホテルと豪華なつくりになっていた。最屋上階にはレストラン街と展望台がある。陽子がいまいる3Fでは通路からほとんどが丸見えの近代的なクリーンルームが広々ゆったりと広がっていた。普段から人通りのないフロアだったがいまは人っ子一人誰もいなかった。この時間ではほとんどのオフィスは既に営業時間を終えており、かろうじて向こうに一室、いま仕事を終えたと見える男が書類を整理しながら立ち上がってるのが見えた。
閑散としたフロアの向こう側に目的のトイレがあった。