第180章
しかし陽子のせっかくの決心をよそに、車は看板の矢印に従わなかった。妙なことに車は道端のでっぱり、安全帯に止まりエンジンが切られた。
「…あのさ…今夜大丈夫?」
いきなり聞くか。なにも言わずに入ればいいじゃないか。
「…うん…」
「…予定とか…さ…」
もうわかってるだろう。女の扱い方を知らないのかこの男は。大体予定を入れずにいつでも相手できるようにと言ったのはそっち…?…??…
その瞬間気分が一気に晴れた。もうこの男は自分を"そういう"ふうに見ていない。忘れた、というかなかったことになったようだ。
(…誘われてるんだ…)
胸の鼓動を感じた。お互いの関係には意味がある、いままでとは違う、きっとそう表明しているのだ。
「…予定なんてないよ…入れちゃいけないって…そうさせたんじゃない…」
「…そうだね…」
(?)
「…その通りだ…」
気のせいだろうか。なんとなく男のイントネーションが変化したような気がする。なんとなくそう、言い含めるような語調だ。なにか考えてるようなしばしの沈黙、しかし異様な雰囲気は再度男が掛けたエンジンにかき消された。
(まさかと思うけど…ね…)
再びそよ風が髪をくすぐる。なぜだろう同じ黙っているのにさっきこの男から親近感とは違う、なにかわからないものを感じた。
(伝えたいことが…あるんだよね…)
不器用な人。それはもう承知している。口下手で言い出せないのだ。いままでがいままでだったから。
(そうか…)
今日のこのデートは罪滅ぼしなのだ。
「どう?飴でも舐める?」
そう言うとラックから赤い小袋をひとつつまんだ。
「なにこれ」
「エッチになるアメ。」
「…………ぷっ」
「はは、こんなんしかなくってさ。喉渇いてるみたいだから。」
突然なにを言い出したかと思った。というのもその赤い包みに妙なイラストが描いてあったからだ。いかにも外国のコミカルな絵柄で、赤い頭巾を被りベッドにくるまる白人女性を狼が襲おうとしている絵だ。あまりにあからさま過ぎるベタさに腰がくだける。はっきり言って駄菓子屋レベルだ。
「なんかのオマケ?」
「鋭い。通販で付いてきちゃってさ。」
「へー、この間の?」
「そう。初めてだったけどまとめ買いだったからね。いいお客さんだったんだろうね。」
言うまでもなくこのような絵柄、アダルトショップのものとわかる。きっといままで使った淫具のおまけなのだ。しかしそれよりも重要なことが判明した。最近購入したということだ。使い古しではない。つまりこの男、あれらを自分のために用意したことになる。
行われたことは最低なのに、この判明で陽子は顔を赤らめた。飴はすぐ口に放り入れた。
つまりこれが最後。おまけということはもうあんなものはないということだ。飴はずいぶん甘かった。やはり製品となったら日本のお菓子が一番だ。
(…口に入れた…)
武史はその様子を前を向きながら見守っていた。陽子の予想は当たっているのだが武史はひとつ嘘をついていた。この飴はおまけではない。ちゃんと○千円の値段が付いた代物だった。到着したときにはその稚拙な包装に騙されたと思ったものだが、自分でも一粒試して効用があるとわかった。しかしすぐにわかったわけではない。媚薬というと体がカッカ熱くなって、と考えがちだがこれはその類ではなかったからだ。狼にはならない、あくまで女性用の薬だと気付いた。すぐに陽子を訪問できなかったのはこれのせいだったのだ。しかしおかげで我を忘れて思索に耽ることが出来たのも事実である。
あるセックスドラッグがこの度法規制された。好事家達は最初悪戦苦闘していたが裏取引で値が法外につりあがっていき、やがてあきらめムードに変わった。しかし片隅のネット掲示板で静かに盛り上がっている話題があった。成分をまったく謳ってない、あるジョークグッズの飴に関する話題だった。それをたまたま目にした武史は、勇気を持ってその隠語の飛び交う掲示板に発言した。薬の名前を教えてもらうだけでもかなり苦労し、食い下がる粘りにやっと教えてもらえたのは掲示板ではなく無料メールでだった。教えられたとおりその公開したアドレスはすぐにつぶした。
拒否なく口に入れたということは"OK"の表明だ。媚薬が効くかどうかは個人差があるだろうし正直わからない。本物の媚薬と知ったらさぞ驚くだろう。効かなくて元々、雰囲気作りには充分だ。もし効いたらもっと雰囲気が出る。
さぞ悦んでくれるに違いない。
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