第173章
眠りから醒めるともう昼近くだった。結局夕べは、もしかしたらいつドアがノックされるかと耳をすましながらなかなか寝付くことが出来ず、ちゃんと眠りにつけたのはおそらく朝方も近いころだったと思う。
陽子はシャワーを浴びた。あの男のことを思う昨日からの余韻がまだ残っている。職探しをするような気にもなれない。かといって格別することもない。一体なにをして夜を待てばいいのか。
眠気を払い気が落ち着いてくると、なにをばかなと思った。後先のことを考えてない。一人の人間になにを振り回されてるのか。いまの自分にはしなければならないことが山積しているはずだ。自堕落ではいられない。もっとしっかりと立ち直っていなければならないと鏡に映る自分に言い聞かせた。
部屋に戻ってふと充電中の携帯を開いて見た。あの男からの未読メールがあった。ボタンを押してその内容を見た瞬間、陽子はまた元の状態に戻ってしまった。
―――いまから行く―――
瞬間感じたのは脅威ではなくときめきだった。夜まで待たずに来るなんて願いが叶ったような気がした。受信は二十分ほど前、つまりシャワーを浴びていた最中と思われる。
(ちゃ、ちゃんとしなきゃ…)
ジャージなんか冗談じゃない。陽子は急いで着替え、髪を整えた。
(なにやってるんだろう…なにやってるんだろうね…)
ファウンデーションをはたき口紅を塗りながら、陽子はいまの自分におけるジレンマを確かに感じていた。いったいなぜ、いつから自分は男の到来を待ち望むようになってしまったのか。その思いがよぎっても陽子の化粧は止まらない。なにもおかしくはない。人と会うのに身だしなみを整えてなにが悪いのか。
(…よし…)
ずいぶん早く終わった。なぜかやたらと化粧の乗りが好い。にきびなんか跡形もなく肌のしっとりさも絶好調。まるで若返ったようだ。若い頃は試行錯誤に無茶な化粧をよくしていたものである。そしてやっと慣れた頃にはその肌を失っているのに女は気付くのだ。タイムマシンがあったら昔の自分に教えてやりたい。"なんでもかんでも使わないで、薄くちょっとアクセントを加えるだけでいい。いまのあなたにはそれだけでいいのだから"と。しかしいまはその願望さえない。いつも薄めなのだがそれよりも薄化粧、それなのに充分なのだ。まさかこれで寝起きとは気づかないだろう。
調子がいい。整ってるか部屋のチェックをすると丁度チャイムが鳴った。深く息を吸い込みドアを開けると男が少し眠たそうな目で立っていた。一瞬たじろいだように見えた。鍵が掛かってなかったことに気付いたらしく「ぶ、無用心だよ」と中に入り施錠してくれた。この人が言うには変な言葉に思えて、くすっと頬が緩んだ。