第165章
「…」
「…写真とかビデオとか…」
「…すぅよ…すぅさ…」
陽子はやさしい目で男を見つめた。嘘であることがまるわかりである。答えるまでにずいぶん時間がかかり目を何回も逸らした。出てきた言葉もまるで幼児のそれである。
「…ほんとはそんなつもりないんでしょ?…」
「…」
ほらやっぱり黙り込んだ。こんどはなにも言わない。
「…そうだよね…そんなことする人じゃないもんね…」
陽子はさまよう目をやさしく見つめた。
やはりそうだった。初めからそんなことをするようには疑わしく思っていた。欲望が自分にしか向けられてないことをいつからか頭の隅に感じ、その思いは確かな推測に変わっていたのである。やっぱり思ったとおりだったのだ。
いかなる不遇な鬱屈が溜まってしまったのか、変わった性癖の持ち主に出会ってしまったものだ。
しかしそれを悔やむ思いさえ芽生えない。むしろあきれてると言ったほうがいいか。苦笑いまでが顔に出た。
「…そう…」
いくら見てても飽きなかった。人の目をこんなにもじっと見つめ続けるのはたぶん初めてだ。それにこんなふうに自分を見つめる目にも出会ったことはなかった。これまで付き合った男達はいつも能動的な目で見ていたような気がする。それは自分の事をなにかアクセサリーのような獲得物とでも思ってるような目であったことを陽子はいま思っていた。
確かにこの男が行ったことは獲得どころの話ではない。心理的監禁脅迫であり、同時にある意味支配だ。しかしそれがまるで嘘だったかのように思わせる目だった。こういう男性の目をかつて見たことはない。陽子に見つめられていることを至福と感じている目にみえた。
「…そう…」
いつまでもこうしていてもしょうがない。陽子は顔を起こした。
(なにやってんだろうねぇ、わたしたち…)
酔っ払いつぶれ、そのそばに座りたたずむ男と女。恋人同士でもないのにたった二人だけでぽつんと部屋にいる。不思議な空しさと不思議な充実さが混ざる初めての感覚だった。いまほどの問いかけと答えさえ意味を成さないもののような気がする。そんなことはもう重要なことではないような。
(…いやいや…)
そんなことはない。重大な問題だ。この一点こそが自分をずっと縛り付けていたものなのだ。証拠はないもののこの男の本心を引き出すことができたのである。わかってしまえば世界は元の状態に戻った。いや初めからなにも変わっていないのだ。自分だけが思いつめていただけなのである。
溜息をついて下を見ると男は目を閉じていた。
(眠ったか…)
はたと陽子は考えた。眠ってしまった。ここのままで。
それはそれで困った。ほっといてもいいが…放っとくわけにもいかないだろう。しかしこれでは起きそうもない。ベッドに持ってってやるか。いや根性を出せば持ち上げられるかもしれないがそれも変な話だ。だいたい添い寝でもしてやるというのか。そんな義理はない。義理はないが…
そうだ、押入れの中に毛布がある。掛けるくらいはしてやってもいいだろう。
陽子は立ち上がるために、膝に触れていた男の手を胴体に寄せてやった。自分もよろけて踏んでしまう怖れがないわけではないからだ。
しかしそのときはずみで男のシャツがはだけ、横腹の肌が露わになった。陽子は驚きもしなかったが、立ち上がる動作を止めその肌を見つめた。