第162章
「こんばんは…」
男が部屋にやってきた。どう言って迎えたらいいかわからず陽子は無言でまっすぐ男を見た。正直なところ待っていたような自分もいて悪い気がしない。しかし当然ながらそれを言葉にできるはずもない。
とにかく男は現れた。少なくともやることだけやって帰るようなことは今日だけはして欲しくない。恐怖の対象ではなくなってきてるのだ。これまでと違って覚悟は出来ている。
(?)
男はいつものバッグを持ってなかった。買い物袋から取り出したのは缶ビールだった。
「まあ…こんなものを持ってきてみました。口に合うかは…飲める?」
男がつまみをテーブルに出しながら言った。陽子はきょとんとした顔でそれに答えた。
「飲める…よ?」
「よかった。ちょっと待ってて、なにか作るよ。」
「あ…あの…」
「いい、いい。」
そう言って男は台所に向かった。
いったいどういうつもりだ。こないだのレンタル映画といい掴めないところがある。酒を飲むということは朝まで帰らないつもりなのだろう。正直ホッとはしたが映画のときのことを考えるとそうもいかない。
(酔わせてどうかしようってわけ?…)
考えられることだ。度ある毎に弄んできたこの男のことだ。
(ふーん…)
それにしても酒とは。そのことがいくらかでもその心配を軽減させてくれそうだ。
「おまたせ。」
「えっ?はやっ」
びっくりしたのは武史のほうだった。初めて聞くパターンの陽子の口調である。
人は見かけによらないものだ。10分くらいで男は三つも鉢を並べた。プロじゃないと言ってはいたが本当だろうか、何度見ても意外だ。
武史は極めて妙なものを見た。陽子のグラスにビールを注いだときある意味どきりとした。確かに見間違いじゃない。陽子は泡が上がって行くときに片手を縦に振ったのだ。丁度力士が賞金を取るときのように。七癖というやつだろうか、実に人は見かけによらないものだ。
「それじゃ…まあ…」
「…」
さすがに乾杯というわけにもいかないだろう。二人はグラスをかざすだけにとどめた。