第160章
「やっほ。」
「毎度。」
またいくぶん茂美は太ったみたいだ。
「また巨大化してる。」
「ざけんなよこら、あんただって…うわマジぶくぶくだねー」
「ええ?」
「あははっうん、ちょっと見ないと思ったらふっくらしてるじゃん。」
やっぱり足を運んでよかったと陽子は思った。気安い仲間に会うとほっとする。交し合う飾らない言葉に心が安らぐというものだ。
しかし…久しぶりとはいえそんなに自分は太ったのだろうか。
「しかし目ざとくよく見つけるねこんなトコ」
「前から目はつけてたんだ。」
茂美がじーっと陽子を見つめた。
「…なんだす?」
「なんか…変わったねあんた…凄みがでたっていうか…」
どきりとした。もしかしたら会わないほうがよかったのかもしれない。
茂美は高校卒業後すぐに結婚した。相手とは陽子も在学中何度か会ったことがある。陽子にも彼氏はいたが卒業するころにはもう離れてしまっていた。別の彼女が出来ていたことは周知の事実である。しかし茂美はそのまま掴まえてゴールインにこぎ付けたというわけだ。
よく相談にも乗ってやった。ケンカしてもあんなにも相手を恋焦がれる茂美自身を知っていたのはおそらく陽子だけだったろう。
いまでは一子をもうけていた。去年小学校に上がってからはパートが休みの日はこうしてよく友達を誘っているようだ。
人生というのはいろいろだ、と陽子は思う。こないだまでセーラー服を着ていた友達がいまでは子持ちの主婦である。正直茂美を見てると、自分がなにも成長していないように、あの頃からなにも進歩してないように感じるのが少しつらい。
「なんか最近やることなくなっちゃってさー」
茂美がフォークを遊ばせながら言う。
「旦那もこのごろかまってくれないんだぁ。」
「ふーん」
「あっちのほうもさっぱりに」
「こらこらでかい声出すんじゃないよ。」
またそっち系に持っていくか。昔からやたらそういう話題が好きな娘である。そういうのはそういうのが好きな同志と語り合ってもらいたいものだ。
と、いつもは思う。しかしいまは違った。陽子は初めてこの種の話題に参加資格を持つことが出来るような気がしていた。
「…あのさ…」
「ん?」
「茂美はその…最後の…」
「?」
たちまち顔が赤くなる。
「…最後んときって…どうなる?…」
茂美はきょとんとして呟いた。
「…どビックリ…」
「…」
「…あんたがそんなこと言うなんてねぇ…」
「あなたがそんなこと言うからでしょっ!」
「おおっ逆ギレ。」
茂美はなんだか嬉しそうだった。待ってましたとばかりにひそひそ声で陽子に思う存分レクチャーする。こういう話題を初めてこちらから持ち出した、意外な新鮮味もあるようだ。
陽子は思った。かなり自分とは違う。茂美の話す内容は雑誌に書いてあるようなことばかりだ。確かに言葉にしてしまえばそうなのかもしれない。しかし予想していた答えとは結びつかなかった。
いまとなっては、あの男と出会ってからの昂揚が"達する"という種類のものであることに疑いを持ってない。世の女性の皆が皆、ああいうものを経験しているのかと思って聞いてみたのだが。
もしかしたら自分は、経験豊かなはずの茂美さえも飛び越してしまったのだろうか。陽子は自分が普通ではなくなってしまったのではないかという不安に駆られた。どだい自分のされていることは異常極まりない行為ばかりだ。聞けば聞くほど茂美と自分にギャップのようなものを感じざるを得なかった。特に男性の"出したもの"への感じ方の相違は決定的だった。当然嗜好や考え方は人それぞれである。笑いながら聞いてはいたが頭の中では、せめてそのことを自分に言い聞かせるしかなかった。自分の事を話さなくて良いのはせめてもの幸いだった。
「でもさ、陽子もそろそろ決めなきゃいかんと思うよ。いつまでもカタブツ通してもさ。」
「ほっとけ、そういうのはまだいいんだわたしは。」
「あ、タバスコそんなにいらないって。」
母親みたいなことを言いやがる。自分だけ収まったからっておせっかいなやつだ。
「あんたのおかあちゃんから時々電話掛かってくんだよ。」
「ええ?」
「昔っからあたしと仲いいの知ってるでしょ。いまでもやりとりしてるんだよ。あんた全然家に連絡入れないみたいじゃん。あんたへの心配ぜーんぶこっちにくる。」
「あーわかったわかった。もう電話しないでって言っとくから。」
「いやあたしのほうは全然いいんだけどさ、こっちの愚痴も聞いてもらってるしぃ。かけんなかけんなタバスコっ。思い切りも大事だって、なんならあたしが聡君に…」
「ふられたっ」
「ええ?…ああそう…あたしもなんか合わなさそうだなあって思ってたけど…ってさっきの…ああ…ほうほう…」
明かすつもりじゃなかった。なんかヤバいことを言ってしまった気がする。陽子の顔が赤くなった。
「…成長したねぇ陽子も…新しいオトコめっけたんだ…」
「そんなんじゃないっ」
「こんどはうまくいきそうってことぉ?」
「そんなんじゃないってっ!」
「かけんなってっ」
話せるわけがない。紹介なんてできるはずもない。犯罪者に手込めにされてるなど言えるわけがない。
会わなければよかった。羨ましく思う気持ちが一気に積もってくる。あの男と普通の恋愛関係であったならいまどんなに救われていることか。悔しさと切なさ、いろんな思いが複雑に入り組んだ。
(…バカ…あいつ…)
それでも茂美の前では気を許してしまう。不安な心情を悟られまいとしながら陽子は、この下ネタ好きの友人に思い切って聞いてみた。
「…あの…さ…」
「ん?」
「…茂美って…無理やりされたことってある?…その…男のひと…旦那さんに…」
茂美はフォークで頬をこすりながら陽子をへーという感じでじっと見た。
感づかれたか。
「…陽子らしいね…なるほど…」
杞憂にすぎなかったらしい。茂美にとって陽子はカタブツなのだ。
「そりゃないことはないよ、男の人ってそういうことあるし。…乱暴されたわけじゃないよね。」
頷くと茂美は笑った。
「いまはめったに…いやあ、ないなぁ。大抵あたしのほうからだもん。」
笑いながらも優しい目で陽子を見つめながら言った。もしかしたら赤裸々な告白をしてくれてるのかもしれない。親友に陽子は申し訳なくさえ思った。
「羨ましいと思うよ。っていうかまだそんな段階か。」
と茂美が舌を出した。申し訳なく思うのはやめた。こういうヤツだ。
「陽子、あんたわかってないよ。」
「え?」
「いまの彼氏掴まえときたいんだったらさ、受け止めてあげなきゃ。」
「…んー」
「どうせあんたのこったからその気もなしに焦らすだけ焦らしちゃったんでしょ。相手がどういう気持ちでいるのか、そこらへんわかってあげなきゃ。」
「だって…」
「そんなだから長く続かないんだよ。」
「…」
気づかってくれたのか、茂美は話題を変えた。
「そういえばさ、前から聞こうと思ってたんだけど、あんた付き合うたび彼氏にあんたの正体バラしてんの?あのこと。」
茂美はにやにやしながら手でその仕草をした。
「別に…そんなあえて言うようなことじゃないし…それほどまでいったことないし…」
「ああ…隠してんのねぇ。そこはオンナってわけ?いつかはバレるんだから…」
「別に隠そうとしてるわけじゃないよ。」
「捨てられるのが怖いんだ。やなオンナ。」
ふっと笑いながら陽子は皿に手を伸ばした。
(あんま考えてなかったな…)
突然レストラン内に二人の悲鳴が同時に挙がった。
「辛――――っ」
「あたしのせいじゃないかんねっ!全部食えよっ!」
「あなたがあんなこと言うからでしょっ!食うわっ!食やいいんでしょっ!」
そしてまた同時に二人は声を挙げる。今度は貞淑な可愛らしい声で。
「すいませーん、水お願いしまーす。」