第159章


陽子は洗面台に向かって歯を磨いていた。


(…)


鏡に映ったこんな自分を見たのは初めてだった。髪の毛は大爆発なのは仕方ないとしても、寝起き特有の緩んだ表情は久しぶりのような気がする。普段の自分は、たとえ徹夜仕事の後でも起きた直後から引き締まった顔をしてたはずだ。
まるで子供に戻ったような顔だ、と陽子は思った。自からを制御しきれてない10代にも満たぬ幼い頃、自分はこんな顔をしていたのかもしれない。しかしはたと陽子は歯ブラシの手を止めた。


(…子供じゃ…ない…)


それはだらしない顔ではなかった。眠たい表情とも違う。陽子は、はたして自分はこのような表情をする人間だったろうかと戸惑いを覚えた。
半開きの口にとろんとした目、それは幼生のものとは明らかに異なる、悩ましい表情だった。無意識に陽子は口周りに少し力を加え目を細めてみた。


(…これは…)


アノときの顔だった。ゆうべテレビ画面でさんざん観せられた、苦痛とも弛緩とも、そして歓喜の混ざった複雑な表情がそこにあった。
陽子は表情を戻し、歯磨きを再開した。男に対してよりも自分に対する怖れ、のような感覚があった。しかしながらそれはまた、怖れとは微妙に違うものだと感じてもいた。

顔を洗って振り向くと陽子は部屋を見渡した。
ここではゆうべ、いろんなことがあった。この宙の空間で、このベッドの脇で、自分は人間性を破壊されるほどのことをされた。しかし陽子の心を占めているのはそのことではなかった。このベッドの上で、いままでとは全く異なることを二人が行った、その余韻のほうが遥かに強い。

具体的になにがあったのか、実はそこだけ記憶がおぼろげである。それだけ陽子にとって異世界のことだったといえる。なにか大きな、うまくいえないがとても大きなものがそこには在った。絶頂という意味もあるがそれだけではない。行為を介してなにか触れられないものに手が届いた気がするのだ。
それゆえの充実感だった。理屈で説明できるものではない。世界が違うような気さえする。
そしてまた陽子の、男に対する捉え方が変化したのも事実だった。いま陽子はひとつの憶測を持っている。もちろん根拠などない。



なぜなのかすら考えることもなく、陽子は久しぶりに恐怖感を感じることのない朝を迎えた。そしてテレビをつけてやっと現実に戻ることができた。しかしそれでも、失業中でなにも支えのないはずの自分の境遇を嘆く気持ちも起きなかった。

いつまでもぼーっとしてられる気がした。いつの間にか時間が過ぎ去っていることをテレビの時報で気付く。

そしてけたたましい電話のベルで陽子はまた現実に引き戻された。

「もしもし?」

「あ、陽子?いたんだ。あたしぃ。」

旧友の茂美だった。中学からの腐れ縁で名を告げられなくとも声だけでわかる。

「休みだったら丁度良かった。お昼一緒にしない?」

陽子は少し間を置いた。今日は普通の自分に戻れてる感じだ。元のように、いや前よりもなんでも出来るような気がする。

「うん、わかった。どこがいい?」

「また面白そうなトコめっけたんだ。」

ここ数日のような異変もきっと起こらない。陽子は電話を切ると支度を整えた。







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