第145章
子供の頃、家には年中猫がいた。農家である陽子の実家には一匹といわずいつも数匹の猫を飼っていた。食事の間でも本を読んでるときにもいつもその部屋には何匹かいる風景が常だった。
ある日テレビを家族で見ていたときのことだ。唸り声に気づいてそちらへ目を向けると、一匹がもう一匹に馬乗りになって首の後ろに噛み付いていた。下になっていた猫が振り切って抵抗し二匹はじゃれあっているように見えた。ずっと以前、親猫が子猫に同じことをしていたとき父親は、餌の捕り方を教えているのだから心配ないと止めようとする小さい陽子を諭したことがある。しかしこのときは違った。
何回も馬乗りになってはじゃれあう二匹を見て、陽子の母親は"ほらほらがんばれ"と応援していた。そのうちに下になった猫が"クウ"と高い声を挙げて、二匹は互いの体をびくびくと震わせた。がばっとまた振りほどいた下の猫は、床に全身をこすりつけ、ころころと狂ったように転げまわった。組しだいてたもう一匹は悠然と舌で自分の毛をつくろい、トリミングを始める。母親は"よくやったよくやった"と微笑んでお茶をすすりテレビに向き直った。
なにも言われなくとも陽子はわかった。いま猫たちは交尾を行ったのだ。初めて見る、生き物の性の営みに、ちょうど思春期を迎え始めていた陽子は少なからずショックを受けた。ついこの前まで仔猫だったはずの二匹が、一瞬にして"雄"と"雌"になったのだ。しかも隠れることもなく皆の居る目の前で。
真っ赤な顔をした陽子を見て父親がなにかからかったのを覚えている。母親は"また家族が増えるねぇ"と笑っていた。
冗談じゃない、と陽子は思った。あらかじめ学校で習ってはいたものの、こう目の前で突然行われては驚くのも仕方ないと陽子は怒った。みんなはまた笑った。
そしてまもなくまた別の日、それは予告なく起こった。
真夜中、部屋に一人眠っているとき、もぞもぞとした音で陽子は目を開けた。いままで枕元で眠ってたはずのその二匹が、頭のすぐ脇で"始めよう"としていたのだ。いま思えば発情期の季節だったのだろう。二匹とも喉をごろごろ鳴らしながら静かに唸りながら重なっていた。
開いた窓から満月の光が二匹、いや二人を照らしていた。月明かりに四つの眼がぎらぎらと欲望の光を放ちそれは聖なるものにさえ見え、触れてはいけないような怖れを持ちつつ陽子はその荘厳な儀式を見つめた。一度かそれ以上か、そのやり方に慣れた二人はなんなく"その声"を発した。しかし前と違って上の猫はすぐには離さず、首に噛み付いたままだった。するとすぐに下にいる猫が声を荒げはじめた。いや怒りの声ではなかった。歓喜の叫びを発しながら二人は腰を震わせていた。毛に覆われた中で二人の性器は繋がり、おそらく中では思う存分体液の注入が行われている。陽子は雄叫びを聴きながら二人の行為から目が離すことができなかった。
そして一匹は毛づくろいをし、一匹は転げまわる。陽子の顔にもところかまわず擦り付けてきた。陽子にはわかった。なんて幸せそうな動きだった。
そのうち収まると雌猫のほうも満足そうに毛づくろいをはじめ、くっついていた呆然とする陽子の頬も一緒に舐めてくれた。ざりざりした舌は、さも陽子をあなたも仲間だというように頬をこすった。
やがて雄猫を追って雌猫は一緒に連れ立って部屋を出て行った。また別のところで同じようなことをするのかと、陽子は一人取り残された。
胸がはちきれそうにドキドキしていた。自分も大人になったらあのようになるのだろうか。しかもそれはそう遠くない。もうすぐ年頃になるねとよく言われていたその意味が、そのとき初めてわかったような気がした。誰かがいつか自分の前に現れて、あのように自分を…自分のそこに…
学校でそのころ持ちきりになっている秘密の話題があった。はしたないと思い傾けないようにしつつも噂の断片は耳に入ってきていた。
胸の高まりが収まらない。ひとりでに手が下へ伸びた。パジャマのすそから下着を挟みながらも、股間の茂みに指が潜りこんだ最初の夜だった。
陽子はうつろに瞼を開けた。目の前で男が静かに寝息を立てている。意識がはっきりせずぼんやりと正面にある男の肩を見つめた。肩の向こうには全開に窓が開け放されて、カーテンがゆらりと揺れている。
(…………)
開け放された窓、その上のほうに満月があった。いまみたあの、夢の中の夜と同じく煌々とした光が陽子を照らしていた。